横須賀市追浜にある明治時代に東京湾に建築された人工島の遺構「第三 海堡」の見学ルポを紹介します。

第三 海堡は巨大コンクリートで建てられており、見るものを圧倒する迫力です!

廃墟感もインパクト大で、非日常感覚を味わえます♪

近代史に詳しくなくても、建物ごとに説明パネルが用意されているので、気軽に楽しく見学できるのがおスススメです。

<第三 海堡 一般見学>

  • 見学日:毎月第一日曜日(1月のみ第二日曜日) 10:00~16:00 入場無料
  • 所在地:横須賀市夏島町2-26 夏島都市緑地内
  • アクセス
    京浜急行線「追浜」駅下車
    京急バス「追浜駅前」停より
    1番バス乗り場「追浜日産自動車」行「追浜車庫前」下車 徒歩約5分
    2番バス乗り場「深浦経由田浦」行「東京ファイン前」下車 徒歩約10分

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第三 海堡(だいさんかいほ)とは?

見学レポを紹介する前に、「第三海堡とは何なのか?」について、その成り立ちと歴史を簡単にご紹介します。

成り立ち

江戸時代の終わりに、黒船などの外国船が来航したことに脅威を感じた幕府は、砲台を置くための台場を築きます。

明治政府になってから、東京を防護するために東京湾一帯に24の要塞が建設され、そのうちの3つが海上の「人工島」に砲台を備えた海上要塞=海堡(かいほ)でした。

下図のとおり、第一海堡と第二海堡は千葉県富津沖にあり、第三海堡は横須賀市観音崎沖の浦賀水道内に建設されました。

出典:追浜(おっぱま)の歴史遺産 見学のしおり 東京湾第三海堡遺構物語

第三海堡は、激しい潮流の水深39mの場所だったため、建築は困難を極め、約30年の歳月がかかったそうです。

明治に着手して完成したのが大正10年という、オリンピックの競技場建設どころじゃない、国家的一大プロジェクトですね!

なお、第二海堡は旅行会社による「上陸トライアルツアー」が開催されています。

興味のある方は横須賀観光情報 ここはヨコスカのページをご覧ください。

関東大震災による被災

しかし、なんとわずか2年後に関東大震災に遭遇し、施設の3分の1が水没し、機能不全となってしまいます。

まったく、泣きが入りますね!

なお、第三海堡の建設工事は世界でも類がなく、米国から高く評価され、ワシントンのチェサピーク湾の海堡建設計画に、日本の海堡建設の技術情報が提供されたそうです。

その技術力の高さは、第三海堡は海中に転落・傾斜した構造物のうち、ドーム、壁のいずれにも亀裂が生じていない点でも物語っています。

・・後の戦争相手に技術情報を提供したと思うと複雑です。

撤去・移設

傾斜して海に埋没した第三海堡は、大型船舶が衝突したり座礁する海難事故が11件も発生します。

航行の安全を確保するために、平成12年の撤去工事が始まり7年後の平成19年に作業が完了しました。

巨大なコンクリートを海から吊り上げるために、なんと、32本のワイヤーを1ヶ月かけて取付けて引き上げました!

出典:http://www.action-oppama.org/

考えただけでしんどい作業です!

余談ですが、構造物のコンクリートが良質なため、今でも建築用材として再利用されたものがあるそうです。

ここでも技術力の高さが分かりますね!

保存

引き上げた構造物は廃棄せず、陸上に引き上げて遺構として保存展示されることになりました。

最初は大型兵舎のみがうみかぜ公園に保存展示されました。(以下、写真参照)

その後、探照灯、観測所、砲台砲側庫および地下通路の4つは追浜展示場に仮設展示されました。

最終的に、平成22年(2010年)に、保存状態が悪く移設不可な地下通路以外を今回の夏島都市緑地に移設し、一般公開することになりました。

説明が長くなってしまいまいたが、以下見学レポを画像つきで紹介します。

第三 海堡 見学レポ (夏島都市緑地)

隣接する駐車場に車を止めて、1分ほど歩くと展示場に到着します。

敷地内にまとめて三つの構造物(探照灯、砲台砲側庫、観測所)が設置されているためスケールが分かりにくいのですが、第三海堡全体は全長270m、幅167mの巨大構造物です!

以下の画像では、3つの構造物の施設内の位置関係を示しています。

探照灯

探照灯とは、夜間の敵艦探知施設で、建物の中央付近に探照灯を据え付けるための台座がありました。

探照灯を据え付ける台座跡

台座跡(拡大)

台座後方の通路部分に探照灯を運ぶためのレール跡がありました。

とてもリアルです!

レール跡

砲台砲側庫

砲台砲側庫は弾薬庫で、内部は2室に別れ、脚壁から天井の半円形のアーチまでコンクリートの一体構造となっていて、鉄筋は確認されていないそうです。

砲側庫入口上部には、砲弾が着弾したかどうかなどを見張る観測所があり、砲弾を出し入れする小窓や入口に扉の痕跡が書くにできます。

小窓

観測所へ上がる階段

扉の跡

弾薬庫

観測所

観測所は指揮官の位置するところで、指揮、観測、通信連絡に便利なように、視界が広くて高い場所に設置されていました。

第三海堡には6つの観測所があったとされています。

写真手前に見えている部分は、第三海堡最後部左側のもので、右側の砲弾庫(砲側弾薬庫)と一体構造となっています。

裏側

砲弾庫への通路

砲弾庫

観測所(外側)

観測所内側)

第三 海堡の見学レポまとめ

どの設備もひび割れなくしっかりとした造りで、90年も経過した構造物とは思えませんでした!

首都東京の防護のため、技術を結集して造った海堡は、その当時の日本人の熱い想いがひしひしと伝わってきました。

なお、海堡建設の技術者である「西田明則」は、海堡基礎を構築する際に、早朝の3時~4時に横須賀の家を出て、帰宅は夜の11時になることがしょっちゅうあったとか!

今だったら過重労働で訴えられるレベルですが、人間、情熱を傾けられるものに対しては何時間労働しても苦にはならないのでしょう。

その証拠に、「海堡が見えるところに墓を建ててほしい」という遺言を残し、実際に3つの海堡が一目で見えるところに建てられています。

 

人間のロマンを感じられ、ちょっとうらやましいですね!

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