
Yフェスタ追浜協賛の夏島見学会に参加してきました。
夏島は縄文時代の夏島貝塚をはじめ、戦跡遺跡である地下壕、土塁、砲座跡など貴重な遺構がそのまま残っている貴重な場所です。
マニアはもちろん、自分のような一般人でも、ガイドさんの説明でとても分かりやすく楽しむことができました♪
夏島までの道にも、追浜の歴史を感じることができるモノたちの紹介があり、とてもお得な見学会だと思いました。
300円で参加できる見学会は、見て絶対損はありません。
毎年開催されているので、来年はぜひ、参加することをオススメします♪
画像出典:https://www.cocoyoko.net/
Contents
夏島見学会 Yフェスタ追浜協賛 概要
◆開催日:2018年10月28日(日)
◆開催場所:神奈川県横須賀市追浜町三丁目3
(集合場所) 追浜駅(京急線)
◆問合わせ:NPO法人よこすかシティガイド協会事務局
TEL:046-822-8256 FAX:046-827-1682
◆HP:ここはヨコスカ
電話で申し込みすると、案内が封書で送られてきます。
見学会レポ
追浜駅~夏島まで

追浜駅前デッキに午前9:00に集合。
定員60名に対して50名くらいは集まっており、意外にもかなり盛況な感じでちょっと驚きました。
1グループ10名ほどの構成で、自分たちは第4グループに組み込まれました。
9:20にガイドの案内に従って出発。
途中、鷹取川にはみ出した店舗が並ぶ場所を案内されるのですが、そのインパクトに軽く衝撃を受けました!!

表側に回ると、夏島貝塚通りに沿って看板建築の商店が並んでいます。
現代は絶対に許可されない建築ですが、その昔、軍から貝塚通りの道路幅を広げるように命令が下ったため、川にはみ出さざるを得なかったそうです。
いままで、台風や地震に耐えたのだからあっぱれ!という他ありませんね。

鷹取川は、鷹取山で採取した凝灰岩を運搬するのに使われていました。
凝灰岩は横須賀市や逗子市で塀などに利用されていましたが、関東大震災以降は倒壊・下敷きになるなどの死傷者が多かったため、廃れていきました。
現在の鷹取山は、切り出した岩の跡地を登るロッククライマーの人々に親しまれています。
鷹取山
出典:https://www.cocoyoko.net/
夏島到着
追浜駅から夏島までの地図です。片道おおよそ5kmあり、説明を聞きながら歩いたので駅から夏島まで1時間はかかります。
夏島の全体図です。 <夏島は元来東京湾に浮かぶ島でしたが、大正時代に周辺が埋立てられました。
ですので、日産追浜工場に囲まれたところにポツンと山がある不思議な場所になっています。

出典:NPO法人 よこすかシティガイド協会
夏島の入口は施錠されており普段は中に入れませんが、鍵を開けて今日は中に入ります。

鬱蒼と草が茂り、ちょっとした探検気分です。
地下壕(1層)
左側に最初の地下壕入口が見えてきました。

入口はコンクリートで塞がれていますが中は連絡通路が広がり、零戦(零式艦上戦闘機)の保管場所(倉庫)だったそうです。
画像出典:https://matome.naver.jp
こんな場所によく、戦闘機を隠すことができたのは驚きです!
地下壕は1階~3階までの3層構造となっており、以下の図のように縦横に通路が広がっています。

地下壕(2層)
2層地下壕には急なはしごを上っていきます。
1回に4~5人の人しか乗れないはしごで、角度があるのでちょっと怖いです。(笑)

4~5分で地下壕(第2層)へ到着。

中を見ると、向こう側の出口が白く光って見えます。昔は中に入れましたが、東北大震災以降は危険なため立ち入り禁止になりました。残念!

左右の道路もちょっと見えますね。表面はちょっと触るとポロポロと崩れるもろい性質の岩でした。

地下壕入口の足元にはコンクリート作りの遺構がありました。

地下壕(3層)
更に上ること10分、最上層の第3層に到着します。
他の地下壕入口と比べるとかなり小さく、3層には食料や資材の保管場所、および病院施設があったとされています。
各層の内部に階段はなく、行き来するには歩いてきた外階段を使っていました。
往復するにはかなりしんどかったことでしょう。
第四砲座
頂上から5分ほど上がると第四砲座に到着します。
明治22年に竣工し、長浦港の湾口防御を目的とした24cm臼砲(きゅうほう)の露天砲台です。
現在残っているのは、第一砲座と第四砲座、北西観測所への交通路と付属施設、電灯所への交通路、南東観測所付属室の一部だけです。

砲台は以下の図のような構造になっており、上記写真は赤丸で囲った部分(臼砲きゅうほう)になります。

ちょっと、分かりにくいのですが臼砲を固定していた鉄のボルトが確認できます。

弾薬庫に通じる通気孔です。不思議と、雨が降っても通風孔下の弾薬庫は水浸しにならないそうです。

第二貝塚
第二貝塚に到着。貝塚とは当時の人々が捨てた貝殻が積み重なった、平たくいうとゴミ捨て場です。
第急斜面に貝が体積しているのでちょっと見えづらいですが、写真の赤丸で囲った白い部分になります。

第一貝塚
夏島貝塚は縄文時代早期から前期の古い遺跡で、第一貝塚は明治大学が昭和25年と30年の2回に渡って発掘しました。
画像のとおり、木の根っこにたくさん堆積している様子を見ることができます。
第一貝塚は同時に多数の土器や石器が出土されており、この遺跡があったからこそ夏島が大切に保存されることになったのだから本当に貴重です。

まるで、昨日捨てたかのような生々しさに驚きです!

煉瓦壁+安山岩通路
砲台跡の施設の一つ、電灯所までの通路です。
本来は頭上をはるかに越える、天井に屋根のついた深さのある通路でしたが、年月と共に埋まってしまったそうです。

イギリス積みレンガ(長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式)が続きます。
煉瓦壁の上に安山岩の切石を載っている構造です。

レンガの表面に花桜のマークがついているのは「囚人レンガ」という、刑務所で囚人たちが作ったレンガです。
千代ヶ崎砲台跡にも同じマークがついていました。


第一砲台観測所
2~3分歩き、「第一砲台観測所」へ到着。
特に何か残っているモノはありませんが、ちょうど日産追浜工場が見え、大変見晴らしがよい場所です。
その当時はこの追浜工場の場所に、零戦がずらっと並んだ圧巻の光景が広がっていたらしいです! 零戦マニアでなくても見てみたくなりますね!

日産追浜工場

この丸い穴が開いたものは何なのか、ガイドさんに質問しましたが、よく分からないそうです。
表面に「昭和5年6月21日」と刻まれているので、太平洋戦争中の、比較的新しく作られた物のようです。

第一砲台跡
電灯所からちょっと歩くと第一砲台跡に到着。
ここでも臼砲を固定していたボルトが確認できます。むき出しですがかなりしっかり残っていますね。


第四砲台 弾薬庫
レンガ造りの弾薬庫に到着。弾薬庫はかなりしっかりと残っていました。

室内から撮影。

表側の横には通風孔が開いていました。湿気ないように色々と工夫していたのですね。

当時、入口には木の扉があったそうで、蝶番(ちょうつがい)だけが残されていました。

砲弾を引き上げるための鎖を通した場所?のようです。

木々に囲まれて見えにくいのですが、島の一番高い場所にに立つ監視鉄塔です。

監視鉄塔そばにある、観測所の付属室と考えられている施設ですが、かなり埋没しています。

烏帽子巌跡碑
夏島の見学を終えて、最後に烏帽子巌跡碑を見学。
烏帽子岩は元々、追浜海岸の東突端にありましたが、海軍航空隊や飛行場建設のために埋め立てられて大正7年には消失しました。
当時の烏帽子島はほぼ三角形で、標高15m、周囲200mほどの島だったそうです。
かなり大きくて目立った岩だったのでしょう。ちょっともったいないですね。
なお、現在の烏帽子巌跡碑の場所は、海沿いにあったものを埋め立て事業のため移設された場所です。

江戸末期の浮世絵師 歌川(安藤)広重の「野島夕照」に描かれた烏帽子岩です。
茅ヶ崎の烏帽子岩のイメージですね♪

まとめ
この記事では、夏島見学会のレポをご紹介しました。
横須賀市では、市をあげて貴重な軍事遺産を日本遺産として保存していく試みをしています。
本物の迫力とスケールはハンパなく、明治~大正~昭和の歴史を肌で感じることができ、タイムスリップしたかのような錯覚を体験できますよ♪
これからも、機会を見つけて見学レポをアップしていきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。